○紆余曲折あった日本バスケのプロ化
最近、Bリーグに興味を持った人たちは知らないと思うんだけど、日本バスケはプロ化までにいろいろあったんよ・・・。
その歴史を理解しやすくするために、みんなが良く知っている新日本プロレスになぞらえて説明していく。
○日本バスケのプロ化の歴史
●90年代~空前のバスケブームとnWoブーム到来
マイケル・ジョーダンとSLAM DUNK、能代工業の田臥の出現が重なり、日本に空前のバスケブームが起こる。
新日本プロレスで言えば、一大旋風を巻き起こしたnWoブームとと似たようなものだ。
日本のバスケファンは、このとき誰もがプロバスケットボールリーグの誕生を望んだ。
しかし、プロ化に踏み切ることはなく、この千載一遇の機を逃してしまう。
●2000年代~分裂するバスケ界とプロレス界
2000年代になると、ジョーダンの引退やSLAM DUNKの連載終了によりバスケの人気が下火になっていく。
追い討ちをかけるように日韓W杯からサッカー人気が上昇していく。
時を同じくして、新日本プロレスもK-1や総合格闘技ブームに押されていた。
機を逸したJBLとバスケ協会に業を煮やした河内氏らが、JBLから離脱してプロバスケリーグ「bjリーグ」を立ち上げた。
一方で、JBLもプロ化を目指した新リーグである日本バスケットボールリーグ(JBL)を立ち上げ、日本のバスケが分裂してしまう。
NOTE
新JBLは名前が紛らわしいので「自慢リーグ」の方が通じる。
プロ化を求めたbjリーグと企業リーグの形に留めたJBLの誕生だ。
一方、プロレス界も三沢らが全日本プロレスを離れてNOAHを立ち上げたり、武藤が新日を離れて全日の社長になったり分裂しまくっていた。
●2010年前後~それなりの盛り上がりを見せるが・・・
バスケの面白さにより両リーグはそれなりの盛り上がりを見せるが、一般人からすると、
「えぇ・・・何でリーグが2つあるの?どっちを見ればいいの・・・?」
と不要な混乱を招き、新規顧客の獲得機会を損なっていた。
一方、新日もめっちゃ苦労してた。ワイ氏は、棚橋が盛り上げるために受けを頑張りすぎて壊れるんじゃないかと心配になったものだ。
●2015年~そして、統一へ・・・
日本バスケの分裂した状態を見かねたFIBAの親分がついにキレた。
「お前らプロリーグを統一しないと国際試合に出さないぞ!!
あと協会を何とかしろ」
国際試合に出れないのはガチヤバなので、統一した。
Bリーグになったら注目度が上がって、年々成長を続けて今に至る。
一方、新日本プロレスもメージャー、インディーズを問わず多くのレスラーを参戦させることで人気を回復させていった。
○。○○○○とタイトルマッチをする狂気の団体のレスラーが参戦するなんてストロングスタイルの時代からは想像もできなかっただろう。
あ、もちろん新日も今は大人気です。
●おまけ~世界的スターの誕生
日本バスケ界では八村塁という化物がNBAで普通に活躍して、バスケファンを
「俺の生きてる間はこれ以上のプレイヤーは現れないんじゃないか・・・?」
と不安にさせている。
一方、新日本プロレスからも中邑真輔という世界的スターが誕生した。
中邑の人気は凄まじく、サッカーフォーラムでセルティックのサポーターが中村 俊輔のフリーキックの話をしているのに、中邑真輔のことを話していると勘違いしたプオタがワラワラと沸いてくるほどだ。
中邑はデビュー当初からキャラが定まらず迷走して試行錯誤した結果、今のスタイルが成功しているので、このブログも見習っていきたい。
○まとめ
答えはこうだ!イヤァオ!!